読書要約 道徳の系譜学 第一論文

本記事は、ニーチェ道徳の系譜学のうち、第一論文に限って要約したものです。

問いの設定

本論文では、今日(19世紀末当時のヨーロッパ)に行われている「善いとか悪いとかの価値判断」ということが慣行として根付くためには、どのような経緯が必要であったのかを明らかにしようとします。

研究のアプローチは本のタイトルにもある通り「系譜学」の方法をとります。ニーチェが本論文で取ったアプローチは文献の蓄積から解を発見しようとする点で歴史研究の一種です。どのような点にあえて系譜学と呼ぶべき視点が含まれているのかというと、「善という価値が、一体誰によって、どのような歴史的経緯を経て設定されたのか?」という政治学的な切り口によって、価値判断の仕方の変遷に着目した点です(中山元 2005, 第4章 ニーチェの系譜学)。

ニーチェの主張

今日に行われているキリスト教的な価値判断は、強き支配者に対する否定的な感情にルーツがあり、妬みの反動から弱者としての自分を「善人」と自称することで「善さ」が成立したというのがニーチェの主張です。

この結論の論拠として、ニーチェは「よい」という言葉が史上で登場し始めてから今日に至るまでの系譜を紐解きます。 はじめ、「良い」という言葉は貴族が自らの支配者としての高潔さを自画自賛して使った言葉でした。ところが、支配者に対する妬みから貴族的な支配者を「悪人」とし、そのような悪から対置されるところの弱者性を「善さ」として尊ぶ価値基準が登場しました。このような価値の転換をやってのけたのがキリスト教であり、今日の価値判断の主流を占めているーー以上がニーチェが文献から導き、論拠とするところの洞察です。

疑問点

今後更に本書を読み深めたり、他の文書にあたるときに備えて、ここでは疑問に思った箇所を書き記しておきます。

本論文の後半でニーチェキリスト教的な道徳に基づく価値判断を辛辣に批判します。例えばフランス革命を例に取って次のように述べています。

ユダヤはさらにフランス革命において、ふたたび古典的な理想に勝利を収めたが、これはさらに深く、決定的な意味を持つ出来事だった。ヨーロッパに存在していた最後の政治的な高貴さが、すなわち十六世紀と十七世紀というフランスの世紀の政治的な高貴さが、民衆的なルサンチマンの本能のもとで崩壊したのである

私が疑問に思ったのは、ニーチェによる道徳批判の論拠です。例えば貴族的な独特を「善さA」と呼び、奴隷的な道徳を「善さB」と呼ぶとしたなら、「AとBを比較する議論」はどのような観点に基づいて行うべきか?「『善さ』のよさ」をどうやったら評価できるのか?

参考文献